イエローグリーンライトアップ運動への批判的考察
2026/7/9更新
実施している自治体・医師会・地域団体・企業の皆さまへ。その光を、いったん消す勇気を。

はじめに:本稿の立場と、呼びかけたい相手
最初に立場をはっきりさせておきたい。本稿は、禁煙推進やタバコ対策そのものに反対するものではまったくない。むしろその逆である。禁煙化の目的は、非喫煙者を受動喫煙から守ることだけでなく、喫煙者自身をタバコの害から守ることにもある。この前提に立った上で、世界禁煙デー(5月31日)から禁煙週間にかけて全国の建物をイエローグリーン(YG)色に照らす「イエローグリーンライトアップ運動」(以下、YGL運動)を検証し、いま実施している自治体、医師会、そして点灯に協力している地域の企業や施設の皆さんに、この事業をいったんやめること、少なくとも来年の実施を白紙から考え直すことを呼びかけたい。
理由を先に言えば、こうである。この運動は効果が低い。それなのにお金と人手を食っている。そして2026年の夏、国の受動喫煙対策の見直しの場で加熱式タバコの規制強化が見送られた[22][23]まさにその決定的な時期に、全国の禁煙団体は、本来注ぐべき先ではないライトアップに、過去最大規模の力を注いでいた。
事実関係を確認しておく。イエローグリーンは、2001年に長崎県佐世保市の市民のアイデアから生まれたイエローグリーンリボンを発祥とする、受動喫煙防止のシンボルカラーとされる[1]。ライトアップは2015年の「世界禁煙デーin京都」に始まり、2020年の日本禁煙学会学術総会をきっかけに全国へ広がった[2]。主催数は2022年の8から、2023年に18、2024年に55、2025年に98へと毎年増えている[17]。拡大の途中にある今だからこそ、立ち止まる意味がある。
第1の問題:そもそも効果が低い
YGL運動の根本の問題は、啓発としての効果が低いことである。効果がゼロだとは言わない。しかし、次の四つの理由から、投じる労力に見合う効果は期待できない。
第一に、色の意味が知られていない。ピンクリボン(乳がん)のように四半世紀かけて社会に浸透した色と違い、イエローグリーンと受動喫煙防止の結びつきは、一般にはほとんど知られていない。意味の知られていない色をいくら照らしても、伝わるものはない。ここは推測だが、ライトアップを見た市民の大半は「きれいな緑色だ」という以上の情報を受け取っていない。
第二に、光は説明を運べない。ピンクリボン運動がうまくいったのは、色の背後に、検診クーポン、街頭での検診啓発、企業との協働、著名人による闘病の発信といった、具体的な情報と行動の仕組みがあったからである。YGL運動では、光を見た人を次の情報(禁煙外来の探し方、加熱式タバコの正しい知識など)へつなぐ役割は、現場に貼るポスターに任されている[3]。実際に情報を伝えているのはポスターであり、ライトアップは飾りにすぎない。
第三に、届くべき人に届かない。ライトアップの意味を知るのは、報道やSNSの説明文を読んだ層、つまり、もともと健康情報への関心が高い層である。啓発が最も届くべき層(喫煙率の高い層)には、最も届きにくい。
第四に、そもそも「見せるだけ」の単発行事で人の行動が変わらないことは、公衆衛生の分野で繰り返し確認されてきた。効果が実証されているタバコ対策は、増税、広告の禁止、屋内全面禁煙の法制化、警告表示、禁煙支援の提供といった、WHOのMPOWER政策パッケージに代表される制度面の対策である[6]。マスメディアを使ったキャンペーンでさえ、効果が確認されているのは、十分な量と期間、練られたメッセージ設計を伴う場合に限られる。
これに対し推進側は、効果を示す数字を持っていない。建物を照らした結果、受動喫煙にさらされる人が何%減ったのか、禁煙外来の受診が何件増えたのか、通行人の何割が色の意味を理解したのか。これらを測定した公表調査は確認できない。推進側の関係者自身が、慎重論への反論の中で、啓発活動に数値目標がそもそも必要なのかと疑問を示し、効果の評価には年数の蓄積が必要だと述べている[17]。効果が低いという本稿の見立てに対して、それを打ち消す材料は、推進側からも示されていないのである。推進側が成果として発信しているのは、実施施設数の伸びやハッシュタグの投稿数といった「どれだけ活動したか」の数字であって、「健康がどれだけ守られたか」の数字ではない[4]。
第2の問題:「費用はほとんどかからない」は本当か。実際にはお金がかかっている
推進側は「既にある照明の色を替えるだけなら費用はほとんどかからない」と説明する[4]。しかし、公表されている数字はこの説明とずれている。
福島県は、令和8年度の「ふくしまイエローグリーンキャンペーン事業」(イエローグリーンリボンの周知、川柳コンテスト、県民参加イベント等)を、上限258万1000円(税込)で外部業者に委託する公募を行っている[20]。一つの県のYG関連事業だけで、これだけの公費が動く。ライトアップの電気代も無料ではない。東京タワーの運営会社の公式解説によれば、ライトアップの電気代は1日あたり約2万1000円である[21]。1晩2万円と聞けば安く感じるかもしれないが、全国98か所で数日間から一週間点灯すれば、電気代だけで数十万円から百万円規模になる。これに投光器の購入やリース、施設との調整や広報にあたる職員の人件費が上乗せされる。推進側の依頼文書には、投光器の機種、色を合わせるためのRGB値、ハッシュタグの運用、画像集の作成まで細かな事務手順が書かれており[3]、その一つ一つを誰かが働いてこなしている。「ほとんどタダ」の事業ではない。
なお、福島県の公募要領は、応募者に「事業効果の設定と検証方法」の提案を求めている[20]。お金を出す行政の側は、効果の検証が要ると考えている。運動の側だけが検証を後回しにしてよい理由はない。
そして、お金以上に大きいのが人手と時間である。自治体のタバコ対策担当は、健康増進課の職員が他の業務と兼務で1〜2名という体制であることが珍しくない。5月は禁煙週間の広報やイベント準備が重なる繁忙期であり、そこにライトアップの調整、報道対応、写真撮影、推進団体への実施報告が上乗せされる。一方で、同じ時期に住民から寄せられる「隣の飲食店の喫煙室から煙が漏れている」といった改正健康増進法に関わる相談への現地確認や指導は、人手がなければ後回しになる。点灯式の写真は残るが、対応されなかった相談は記録にも残りにくい。
目に見える行事が実施されることで、「対策は進んでいる」という満足感が行政にも市民にも生まれ、実効性のある政策を求める力がかえって弱まる。
第3の問題:手段と目的の逆転。2年目以降にはっきりする自己目的化
初年度のライトアップには「ニュースになる」という一回限りの価値があった。東京都の2024年の初実施は実際に報道された[1]。しかし2年目、3年目と回を重ねるほど報道価値は下がる。ニュースは「初めて」を報じるものであり、「今年もやった」は報じないからである。
にもかかわらず運動は拡大を続け、成果として示されるのは、実施施設数の伸び、ハッシュタグの投稿数、フォトコンテストになっていった[4][17]。「受動喫煙をなくす」という本来の目的が、いつのまにか「ライトアップを増やす」という手段に置き換わっている。組織論で「目標置換」と呼ばれる典型例である。実施していない自治体への働きかけ(全都道府県・全市町村へのメール送付)が運動の中心的な活動になっていること[4]が、それを象徴している。本来の成果は、受動喫煙にさらされる人が減ることであり、健康日本21(第三次)が掲げる「望まない受動喫煙のない社会」という国の目標[10]に沿って測られるべきである。ところが運動の内部では「何か所照らしたか」が目標の役割を果たしてしまっている。
もう一つの特徴は内向き化である。フォトコンテスト、実施画像集の作成と公開、ハッシュタグでの「全国の仲間との共有」[4]は、運動の外にいる市民ではなく、運動の中にいる参加者に向けた行事である。仲間内の結束を保つ役には立つが、啓発ではない。啓発とは、まだ知らない人や関心のない人に届いて初めて成立する。実施画像集を見るのは誰か。ほぼ確実に、すでに関心を持つ関係者である。毎年の恒例行事は担当者の実績になり、前例踏襲の力が働いて、効果の検証がないまま半永久的に続く。やめる理由を誰も説明しなくてよい事業ほど、危ういものはない。
第4の問題:最大の代償。加熱式タバコ規制の「見送り」と、費やされなかったロビー活動
以上の三つの問題が、抽象的な話ではなく現実の代償を伴うことを示したのが、2026年の出来事である。時系列で確認する。
改正健康増進法は施行から5年が経ち、厚生労働省の専門委員会で見直しの検討が進められていた[22]。2026年5月21日、厚労省の研究班は加熱式タバコの受動喫煙に関する評価を公表した。周囲の空気中の有害物質は増えるが、データが乏しく、健康影響との関連が強いとまでは判断できない、という内容である[25]。そして7月8日、厚労省が加熱式タバコについて紙巻きタバコと同水準の規制強化を見送る方針を固めたことが報じられ、翌9日の専門委員会に「引き続き研究を進める」とする見直し案が示されることになった[22][23]。超党派の「受動喫煙防止対策を推進する議員連盟」が規制強化を求める提言書を厚生労働大臣に手渡したのは7月8日、つまり見送りの方針がすでに固まった後だった[24]。
ここで、行政の動き方を確認したい。役所は、科学的な根拠だけでは規制強化の案を出さない。出せないと言った方が正確である。規制強化は法律や政令の改正を伴うから、「国会や与党内の調整を通せそうだ」という見通しがなければ、役所は案を書けない。その見通しを作るのは、審議会での議論だけではなく、法案を審議する側、つまり国会議員への日常的な働きかけである。だからこそ、見直しの検討が進んでいた2025年から2026年にかけての期間は、禁煙団体にとって、議員への説明と要望に全力を注ぐべき勝負の時期だった。
ところが、この勝負の時期に、全国規模・地域の主要な禁煙団体が最も目に見える形で力を注いでいたのは、過去最多の98か所を照らすライトアップだった[17]。2026年6月、厚労省の検討が大詰めを迎える中で、街は黄緑色に光っていた。そして数週間後、規制強化は見送られた。
見送りの原因を一つに絞ることはできない。タバコ産業側の働きかけ、研究班の評価結果など、複数の要因があったはずである。その意味で、以下は推測を含む本稿の評価である。
禁煙団体が、ライトアップに注いだ人とお金と時間を、規制を最終的に判断する立場にある人々への働きかけに振り向けていれば、結果は違った可能性がある。少なくとも、「加熱式タバコも規制対象にすべきだという声が地元にある」という事実を、法案を判断する側に届けることはできた。手段が目的化した運動は、この決定的な仕事を後回しにした。これは戦略の失敗である。
しかも、必要だった行動は特別に難しいものではない。たとえば、地域の四師会の会長の連名で要望書を作り、地元選出の国会議員に手渡して意見交換の場を持つ。これだけでも、議員の側に「地元の医療関係団体が本気で求めている」という事実が残る。全国98か所のライトアップを組織できるネットワークと調整力があるなら、この程度のことは十分にできたはずである。庁舎を照らす調整はできるのに、議員会館の扉を叩く調整はしなかった。この優先順位の誤りこそ、本稿が最も問いたい点である。
第5の問題:タバコ産業に「悪用」される構造的なリスク
本節はリスクの指摘であり、実際に悪用された事例を示すものではない。以下は構造の分析に基づく推測である。
タバコ産業の伝統的な戦略は、規制に正面から反対することではなく、「対策をしている感じ」を演出して、実効性のある規制を避けることにある。分煙機器の寄付、マナー啓発キャンペーン、換気や喫煙室への技術投資はその典型である。WHOのタバコ規制枠組条約(FCTC)第5条3項が「タバコ産業の利害から公衆衛生政策を守れ」と各国に求めているのは、こうした介入の歴史があるからである[7]。
「意識啓発」型の対策が主流になると、産業側は同じ土俵に簡単に乗ってこられる。「私たちも受動喫煙をなくしたい。だからこそ煙の出ない加熱式タバコへの切り替えを」「分煙環境の整備を」。こうした主張は、受動喫煙防止の看板を掲げながら、屋内全面禁煙という一番大事な目標を骨抜きにする。現行の改正健康増進法は、加熱式タバコ専用喫煙室での飲食を認めるなど、加熱式を紙巻より緩く扱っており[9]、今回の見送り[22]でこの緩さは当面続くことになった。イメージで戦う運動は、より大きな広告宣伝力を持つ相手が同じ土俵に乗ってきたとき、物量で必ず負ける。法規制という土俵であれば、産業は乗ってこられない。資源はそこにこそ集中すべきである。
第6の問題:運動体の強圧的な姿勢が生む分断。地元でさえ巻き込めていない
タバコ対策の推進団体は、行政への「提案・要望・声明」を継続的に発出している[13]。要望活動そのものは民主社会の正当な営みである。問題は、その出し方と、異論や慎重論への対応の仕方に、対話ではなく糾弾の色合いが繰り返し表れてきたことである。
対外的な例として広く知られるのは、2013年に日本禁煙学会がアニメ映画『風立ちぬ』の喫煙描写について、作中のタバコ表現の必然性を問う要望書を制作側に送り、表現の自由への介入だとして世論の広い批判を招いた一件である[14]。学会はその後も、映像作品の喫煙描写を監視・表彰する「無煙テレビ大賞」「無煙映画大賞」などの事業を続けている[15]。全都道府県・全市町村への一斉メール送付という手法[4]も、形式は依頼であっても、受け取る公的機関の側からは「学会を名乗る団体からの要請」として事実上の圧力になりうる。
これは机上の話ではない。長年この分野で自治体や他地域の団体と協働してきた筆者のもとには、複数の自治体担当者や他地域の団体担当者から、強い調子の要望書への対応に困っている、この活動の進め方に疑問を感じている、といった相談が実際に寄せられている。表立って断れば「タバコ対策に消極的だ」と見られかねないため、担当者は声を上げられずにいる。点灯した施設の数の裏側には、こうした声にならない困惑がある。
運動の内部から出た慎重論への対応にも、同じ型が表れる。日本禁煙医師連盟の機関誌に、会員からYGL運動の費用対効果や効果の低さ、産業による悪用リスクなどを指摘する考察が投稿された[16]。これに対し、推進活動を自発的に担ってきた関係者が同じ機関誌上で反論を発表し、投稿を冒頭から「理解不足と事実誤認」を含むと断じ、外部が費用対効果を論じること自体を不適切だとし、投稿者が考察に生成AIを使った点を非難した上で、今後は好意的な目で見るよう求めた[17]。
ここで一つ、象徴的な事実を挙げたい。筆者がこの反論者の住む地元自治体の担当課に電話で確認したところ、その自治体はイエローグリーンライトアップを実施していなかった。理由は、啓発効果が見込めないから、というものだった。全国に向けてライトアップの意義を説き、慎重論を「理解不足」と退ける推進者の、足元の自治体が、効果を理由に実施を見送っているのである。自分の地元でさえ巻き込めていない活動を、全都道府県・全市町村へのメール送付のみで全国に広げようとしている。この一点だけでも、この運動が協働ではなく圧力で広がってきたことがうかがえる。
公衆衛生の運動が「賛成か、反対か」を迫る場になり始めると、本来は同じ目的(タバコの害を減らすこと)を共有しているはずの人々の間に、手段をめぐる分断が生まれる。「ライトアップに疑問を持つ者はタバコ産業の味方だ」という決めつけが生まれれば、健全な内部批判が封じられ、運動は自分で誤りを直す力を失う。第4で述べた戦略の失敗が起きたのは、この自己修正の力が働かなかったからではないのか。医師会や地域団体が「参加しないと裏切者と見られる」という空気で参加するなら、それは啓発ではなく同調圧力による動員である。行政が特定の民間運動団体の提唱するシンボルカラーを公費で庁舎に灯すことには、ほかの啓発運動との公平性の問題もある。ピンク、オレンジ、パープル、ブルーなど、ライトアップの色はすでに乱立しており、市民には見分けがつかなくなりつつある。
第7の問題:啓発の優先順位の誤り。「もう知られていること」を照らし、「知られていないこと」を照らさない
啓発は、まだ十分に知られていないことに力を注いでこそ意味がある。ところが「受動喫煙は健康に悪い」という事実は、2002年の健康増進法の制定から20年以上の制度化を経て、国民にほぼ行き渡っている[9]。すでに広く知られていることに毎年光を当て直しても、新たに得られるものは小さい。
一方で、まだ知られておらず、いままさに啓発が必要な論点は放置されている。
- 加熱式タバコの害と受動曝露:加熱式タバコのエアロゾルにもニコチンや有害物質が含まれ、「煙が見えないから無害」ではない。厚労省の研究班も、周囲の空気中の有害物質が増えることは確認している[25]。「加熱式なら周りに迷惑をかけない」という誤解こそ、いま最も正すべき認識である。規制が見送られた今、この誤解を放置する社会的コストはさらに大きくなった。
- 屋内全面禁煙の必要性:現行法は喫煙室や小規模飲食店の例外を広く認めており、FCTC第8条ガイドラインが求める、例外のない屋内全面禁煙には達していない[8][9]。「日本はもう対策済み」という誤解を解く啓発が必要である。
- シーシャ(水タバコ):若い世代に「タバコより軽い」というイメージで急速に広がっているが、1回の利用で吸い込む煙の量は紙巻タバコを大きく上回りうるとWHOが警告している[19]。
- オーラルタバコ・ニコチンパウチ:「受動喫煙ゼロ」を売りに規制のすき間を突く製品群である。受動喫煙防止だけを目的にした運動は、この種の製品を理屈の上で認めてしまう。禁煙化の目的が喫煙者自身を守ることも含む以上、「煙が出なければよい」という考え方そのものが誤りである。
YGL運動は、この優先順位を逆にしている。最も知られている論点に最も目立つ資源を投じ、最も知らせるべき論点を後回しにしているのである。
第8の問題:WHO・厚生労働省の世界禁煙デーのメッセージが「黄緑一色」に埋もれる
世界禁煙デーは、WHOが毎年違うテーマを設定し、その年に最も訴えるべき論点に世界の注意を集める仕組みになっている。近年のテーマは、タバコ産業による若い世代へのマーケティングや、新型ニコチン製品の魅力の演出を告発するものへと重心を移しており、2026年のテーマも、若い世代をニコチン製品の宣伝から守ることに置かれている[11]。厚生労働省もこれを受けて毎年、禁煙週間のテーマを定めて実施要領を出している[12]。テーマを毎年更新するのは、毎年新しい論点を社会に伝えるためである。
ところがYGL運動は、その年のテーマが何であっても、毎年同じ色と同じ標語(受動喫煙をなくす願い)を繰り返す。その結果、世界禁煙デーをめぐる報道と自治体広報の見出しは「受動喫煙防止のライトアップ」で毎年固定され、WHOがその年に伝えようとしたメッセージは、黄緑色の光の陰に隠れてしまう。実際、自治体のライトアップ関連のプレスリリースは、点灯する施設と日時の告知が中心で、その年のWHOテーマへの言及は付け足しにとどまるか、抜けている例が目立つ[1][26]。
世界禁煙デーは、タバコ問題が報道され、市民の関心が向く、年に一度の最大の機会である。その限られた機会を、毎年同じ色と標語のライトアップが占めてしまえば、YGLは世界禁煙デーのメッセージを広める仕組みではなく、覆い隠す仕組みになる。WHOの2026年テーマ(若い世代とニコチン製品)は、加熱式タバコ、シーシャ、ニコチンパウチという、まさに知られていない領域を正面から扱うものだった。加熱式タバコの規制の是非が国の審議会で議論されていたその年に[22][25]、国内の禁煙運動が発したいちばん目立つメッセージが「受動喫煙をなくす願いの黄緑の光」だったことは、皮肉としか言いようがない。
第9の問題:当事者の不在。喫煙者への実質的な支援がない
この運動には、最大の当事者である喫煙者への実質的な支援が、ほとんど組み込まれていない。
推進側自身、ライトアップの目的の一つに「喫煙者の禁煙の後押し」「禁煙治療の周知」を掲げている[3]。しかし、ニコチン依存は病気であり、そこからの回復に必要なのは、光による願いの表明ではなく、受けやすい治療である。現実には、禁煙治療の主力薬バレニクリンの出荷停止が長く続いたこと[18]、禁煙外来のある医療機関が地域的に偏っていることなど、治療を提供する側の課題が山積みである。庁舎を照らすための調整力があるなら、禁煙外来の空白地域を埋める調整、禁煙補助薬の安定供給を求める要望、職場への禁煙支援プログラムの導入支援にこそ、その力を使うべきである。
さらに、禁煙化は喫煙者自身を守るためでもあるという前提に照らすと、「受動喫煙をなくす願い」という打ち出し方そのものに偏りがある。受動喫煙の被害者を守る物語は、裏返せば喫煙者を加害者の位置に置く。年に一度、街が「あなたの煙は迷惑だ」と受け取られかねない光で染まることは、喫煙者の禁煙の動機を高めるのか。それとも、負い目と反発を強めるのか。ここは推測だが、依存症支援の一般原則(周囲からの非難や烙印は、治療に向かう行動をかえって妨げる)から考えると、後者のリスクは無視できない。
実施している皆さまへ:3つの選択肢
いまYGLを実施している自治体・医師会・企業・施設の皆さんに、来年に向けて次の3案を検討してほしい。
案A:やめる。そして、空いた力を規制実現への働きかけと禁煙支援に振り向ける
ライトアップを公式事業から外し、空いた労力を、議員への要望と意見交換、喫煙可能室の実態調査、禁煙外来の受診勧奨、加熱式タバコやシーシャの啓発に振り向ける。健康増進法の見直しの議論は今夏の取りまとめで終わりではなく、次の改正の機会は必ず来る[22]。そのときまでに「通せる」という見通しを作っておくことが、いまできる最も実のある仕事である。国レベルでなくとも、来年2027年は統一地方選挙がある。それにむけて、地方議員の方々と意見交換を重ね信頼関係を構築していき、地域のタバコ規制を推進していくこともできる。
案B:続けるなら、「効果測定と終了条件」をセットにする
実施の前後で認知度や禁煙外来の受診数などを測定し、事前に決めた基準に3年連続で届かなければ終了する、と最初から決めて実施する。福島県の公募要領が受託者に効果検証の提案を求めている[20]ように、公費を出す側はすでに検証を前提としている。
案C:やるなら、中身を入れ替える
ライトアップという器は残しつつ、テーマを毎年「加熱式タバコの誤解」「シーシャと若者」「屋内全面禁煙」といった、まだ知られていない領域に設定し、光はQRコード付きの掲示や特設サイトへ人を導くための入口として使う。しかし第1から第4の問題(効果の低さ、費用、自己目的化、ロビー活動の空白)はそのまま残る。
本稿の提案は、案Bを経て案Aへ移ることである。検証の結果、効果が示されるなら続ければよい。示されないなら、やめる勇気こそが公衆衛生の誠実さである。
想定される反論への応答
「費用はほとんどかからないのだから、やって損はない」 福島県の委託上限は258万1000円であり[20]、東京タワー級の施設なら電気代だけで1日約2万1000円かかる[21]。無料ではない。そして本当のコストはお金ではなく、規制実現への働きかけに使われなかった人手と時間である。
「連帯を目に見える形にすることには、規制を後押しする世論をつくる効果がある」 2026年、過去最多の98か所が点灯した直後に、加熱式タバコの規制強化は見送られた[17][22]。世論を後押しする効果があると言うなら、この結果をどう説明するのか。効果を主張する側に、示す責任がある。
「ピンクリボンも最初は無名だった」 ピンクリボンには「検診を受ける」という明確な行動目標と、受診率という測定できる指標があった。YGLには、それに当たる設計が現状ない。色が社会に育つには、行動目標と測定の仕組みが先に必要であり、順序が逆である。
「YGLは広がり始めて3〜4年であり、効果の評価には年数の蓄積が必要。急いで評価するのは不当だ」 推進側の一部から実際に示されている反論である[17]。しかし、「まだ評価できない」は「評価の設計を持たなくてよい」を意味しない。実施前の状態の測定は開始時にしかできず、後から測り直すことはできない。評価できないことを理由に無期限に続けられるなら、どんな事業も永久にやめられない。
「YGLは禁煙週間の催し約4,300件のわずか2〜3%にすぎない。費用対効果を言うなら、まず全体を評価せよ」 これも同じ反論文に見られる主張である[17]。しかし、規模が小さいことは検証を免除する理由にならないし、「他も検証されていない」ことは「自分も検証しなくてよい」ことの根拠にならない。
「批判は運動の足を引っ張り、結果的にタバコ産業を利する」 逆である。2026年の見送りが示したように、タバコ産業にとって最も都合がよいのは、禁煙運動が規制の実現ではなく行事の継続に力を使ってくれることである。本稿の批判は運動の否定ではなく、運動の目的に忠実であれという要求である。
「自治体・医師会・薬剤師会の連携の結び目として価値がある」 連携の価値は認める。だからこそ、その連携を年1回の点灯行事で使い切るのはもったいない。同じネットワークで、四師会の連名の要望書と議員との意見交換会を組織したり、地域の有力者と関係を構築し勉強会をした方が、連携の価値ははるかに高まる。
おわりに:光を消して、扉を叩こう
いまYGLに参加している自治体の担当者の方へ。強い調子の要望書に困りながら、断る理由を探している方がいることを、筆者は知っている。本稿がその理由になれば幸いである。「効果の検証が示されていない事業に公費と人員を投じることはできない」。それは、タバコ対策への消極性ではなく、行政としての誠実さである。実際に、効果が見込めないことを理由に実施しない判断をした自治体は、すでに存在する。
医師会・歯科医師会・薬剤師会の皆さんへ。皆さんの連名の一枚の要望書は、庁舎を照らす一晩の光よりも、はるかに重い。地元選出の国会議員に「加熱式タバコも規制の対象に」と直接伝える意見交換の場を、次の法改正の機会が来る前に、ぜひ作ってほしい。
点灯に協力してきた企業・施設の皆さんへ。社会貢献の意思そのものは尊い。その意思を、効果の示されていない点灯ではなく、従業員の禁煙支援や、施設の完全禁煙化という、確実に人を守る形で発揮することを検討してほしい。
受動喫煙のない社会、そして喫煙者自身がタバコの害から解放される社会は、光の色ではなく、法規制の実現と執行、禁煙支援へのアクセス、そして知られていないことを正確に知らせる啓発によって実現される。2026年の夏、規制強化の見送りという形で、私たちはそのことを高い授業料とともに学んだはずである。イエローグリーンの光そのものに罪はない。罪があるとすれば、その光が「やっている感」を照らし出すことで、本当にやるべき仕事を影に沈めてしまう構造の方である。だから呼びかけたい。いったん光を消そう。そして、その手で議員会館と職場と診察室の扉を叩こう。
なお、本稿は批判的な立場からの論考である。推進側には、低コストで参加しやすく、自治体・医師会・薬剤師会などの連携の結び目となり、禁煙治療の周知を兼ねる草の根運動だとする積極的な主張がある[3][4][17]。読者には、双方の主張を読み比べた上での判断をお願いしたい。
引用・参考文献
[1] 東京都保健医療局「世界禁煙デーに合わせたイエローグリーンライトアップの実施について」報道発表資料、2024年5月10日ほか。
[2] タバコフリー京都(世界禁煙デーin京都実行委員会)公式ウェブサイト。
[3] 日本禁煙学会大阪支部・近畿ブロック事務局「世界禁煙デー・禁煙週間におけるイエローグリーンライトアップ実施のお願い」(自治体・関係団体宛て依頼文書)。
[4] 公益社団法人日本WHO協会機関誌掲載の推進側関係者による寄稿。
[5] 健康日本21推進全国連絡協議会・広報記事。
[6] WHO. WHO Framework Convention on Tobacco Control(タバコ規制枠組条約)および WHO Report on the Global Tobacco Epidemic(MPOWER政策パッケージ).
[7] WHO. FCTC第5条3項実施ガイドライン(タバコ産業の干渉からの公衆衛生政策の保護).
[8] WHO. FCTC第8条実施ガイドライン(タバコの煙にさらされることからの保護).
[9] 健康増進法の一部を改正する法律(2018年成立、2020年4月全面施行)および加熱式タバコ専用喫煙室等に関する規定。
[10] 厚生労働省「健康日本21(第三次)」。
[11] WHO世界禁煙デー年次テーマ公表資料および2026年テーマ(若年層とニコチン製品)に関する国内専門家の解説記事。
[12] 厚生労働省「禁煙週間実施要領」(毎年発出)。
[13] 日本禁煙学会公式ウェブサイト「提案・要望・声明」。
[14] 日本禁煙学会「映画『風立ちぬ』でのタバコの扱いについて(要望)」2013年8月、およびこれを報じた当時の各社報道。
[15] 日本禁煙学会公式ウェブサイト「無煙テレビ大賞・無煙映画大賞」事業案内。
[16] 日本禁煙医師連盟通信 第34巻第2号(2025年8月)掲載の会員投稿(イエローグリーンライトアップ運動に関する考察)。
[17] 野上浩志「イエローグリーンライトアップは受動喫煙のない日本への願い」日本禁煙医師連盟通信 第34巻第3号、2025年12月26日。https://notobacco.jp/jstc/ishiren34-3_(2025.12)_nogami.pdf
[18] バレニクリン(チャンピックス)の出荷停止に関する製造販売元および厚生労働省の公表資料(2021年以降)。
[19] WHO Study Group on Tobacco Product Regulation. Waterpipe Tobacco Smoking: Health Effects, Research Needs and Recommended Actions by Regulators.
[20] 福島県「令和8年度ふくしまイエローグリーンキャンペーン事業業務委託 公募型プロポーザル募集要領」(委託料見積限度額258万1000円)。https://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/740562.pdf
[21] 東京タワー公式ウェブサイト「Towerpedia」(ライトアップの電気代は1日あたり約2万1000円との運営会社解説)。https://www.tokyotower.co.jp/towerpedia/index.html
[22] 時事通信「厚労省、加熱式たばこの規制強化見送り 受動喫煙対策、見直し案提示へ」2026年7月8日。
[23] 共同通信「厚労省、加熱式たばこの規制強化見送りへ」2026年7月8日、および日本経済新聞「加熱式たばこ、紙巻き並み規制は見送りへ 厚労省方針」2026年7月8日。
[24] 時事通信「加熱式たばこ、規制強化など提言 上野厚労相に 超党派議連」2026年7月8日。
[25] 時事通信「加熱式たばこ、影響評価を公表 規制強化の必要性議論へ 厚労省」2026年5月21日。
[26] 福島県「禁煙週間に係るライトアップの実施について」報道発表資料(2025年)。

